10周年特別インタビュー

村上友浩  査証のVISAも知らなかった僕が、家族9人でオランダ10年 

お名前:村上友浩
職種:食材デリバリー、トランスポート、現地タクシー手配、暮らしのサポート
事業者名:Honey-Moco
モイモイとのおつきあい:Vol.5(2017年September)から

モイモイさん、10周年ですか!
実は僕もオランダに移住して、今年で10年目なんです。家賃を滞らせることなく払い続けて、「よくやってこれたな」と、しみじみ思っています。移住した時は6人家族でしたが、その後3人増えて、今は9人家族です。

我が家の子どもたちを紹介します。

長女16歳(移住当時7歳):何でも一所懸命こなします。日本語、オランダ語に加えフランス語とドイツ語と中国語もがんばっており、ダンスも熱心に取り組んでいます。

次女14歳(移住当時5歳):現地中学生で将来は絵に携わる仕事に就くのが夢。ずっと絵を描いていて、7人の中でいちばん真面目な性格かもしれないです。

三女12歳(移住当時3歳):補習校にも通っており、ダンスにもハマっていて、最近おしゃれにも目覚めてきてずっと髪や爪をいじっています(笑)

四女10歳(移住当時1歳): 7人の中でいちばん口が達者。語彙力がピカイチです。

五女8歳:器用で小悪魔。その笑顔に翻弄されてます。

六女5歳:我が家の元気印。実は一番コミュ力が高いかもです。

長男1歳半:村上家、初の男の子なので未知数なのですが、姉たちから可愛がられてスクスク育っています。

毎日わちゃわちゃと賑やかで、飽きる暇がありません。

「これでいいんやっけ?」から始まった移住

移住のきっかけですか?
僕はもともとミュージシャン、その後は芸能の仕事と、いわゆる9~5時の企業的な人生とは縁遠い道を歩んできました。だからこそ、自分の子どもたちにも「一律」ではなく、「この子だけの」人生を歩んでほしい。そんな思いを、漠然とですが、ずっと抱いていたんです。

そんなある日、長女の授業参観に行ったときのことです。
教室には机が並び、先生が教壇に立ち、黒板に書き、生徒がノートをとる——その光景を見た時にふと思ったんです。

「懐かしいなあ。30年前とほとんど変わってない。でもこれでいいんやっけ?」

自分が小学生だったころと違わないその風景に、ノスタルジーすら感じてしまって。時代の変化するスピードとのギャップを目の当たりにして、漠然と抱いていた思いが、はっきりとした問いに変わりました。

「子どもたちは、“この子だけの人生”を歩めるか」

超難関進学校に進めば希少な人生を歩めるかもしれない!そのためには、小さいうちから塾に行かなければいけない!でも小さい頃から塾に行かせるなんて嫌だなあ。インターは?高すぎる!うちは4人もいる(当時子どもが)。

このままでも楽しいかもしれない、いや、唯一の体験を人生の宝にしてほしい、でもお金がかかりすぎる、もっと他に方法があるんちゃうか……。気持ちがあっちいったり、こっちいったりしながら悶々としていたある日、空からある考えが降ってきたんです。

「海外移住」

「それや!」とひらめいてからは早かったです。査証VISAとクレジットカードのVISAの違いも知らなかった自分が、2016年6月に準備を始め、その年の10月にはもうオランダの地を踏んでいました。

食材デリバリーから引っ越しまで、「村上だから頼む」を積み上げて

現在は在蘭邦人向けに、提携現地タクシーの手配や引っ越しや荷運び、食材デリバリー、オランダでの暮らしのサポート等をしています。

食材デリバリーは月の第2・4の金曜日にアムステルダム周辺からユトレヒト周辺、ロッテルダム周辺、2カ月に1回、マーストリヒトの方まで遠征しています。

扱っているのは普通の食材だけではなく、オランダで活躍されている「ラーメンにっこう」さんや、お寿司と広島風お好み焼き「おおい」さん、焼き肉の「KANATA」さんといったお店のメニューもお届けしています。Honey-Mocoだから、村上だから、応援してやろうと想っていただけるようがんばりたいですね。

とはいえ、ガツガツやっていきたいという気持ちは、ないんです。ない、というより、がんばる種類が変わってきたというほうが近いかな。

 「おもろい」の種類が変わった

移住したばかりの頃って、何もかもが新鮮で、勢いがあるじゃないですか。やることなすことにアドレナリンが出て、出会いもどんどん広がっていく。でも10年たって、同じ土俵で勝負し続けるのは、ちょっとちがうかなっていう気がするんです。

僕の人生の座右の銘は「おもろい」なんですけど、10年たった今だからこそのチャレンジ、おもろいことってあると思うんです。

2年前の夏、家族で2週間15カ国の旅をしました。スタンプラリーのノリでドライブしまくる旅です。普通だったら「この観光地は外せない!」ってなるじゃないですか。僕らはそういうことにあんまり興味がなくて、がーっとドライブして「ほら、着いたで!」と子どもたちと車を降りて、ぶらっと歩いて、また車に乗る——そんなスタイルで、フランス、スイス、イタリア、スロベニア、ボスニアなどをめぐりました。それでも、国が変わると空気がちゃんと変わる。子どもたちにも、それが伝わっているようでした。

そんなドライブ旅を再び!ということで、去年の一時帰国の際は、神戸から中国地方、九州地方、四国地方など西日本全県制覇の旅にでました。神戸に戻ってから伊勢、愛知、静岡、神奈川、東京、折り返しで山梨、長野、岐阜なども通って東日本も縦断しました。人が滅多にやらないことをやるのが信条の父と母がめっちゃ楽しんでいるので、子どもも自然と楽しんでいるようです。今年は第三弾として、北欧を狙っています(笑)。

子どもたちも元気で、成長を見守るのは楽しいですし、ビジネスは何となく落ち着いています。いや、待て。こんな波風のある人生を歩んできた僕が、「10年経って安定したわ~、落ち着いたわ~」っておかしくないか。というか、うまくいく方がおかしい(笑)。なんかあるんちゃうか、あってもおもろいやん——そんな気持ちで、11年目に向けて踏み出します。

インタビューを終えて:
モイモイは創刊当初、発刊の後に広告主の皆さんが集まる会を開いていました。村上さんはいつも足取り軽く参加してくださり、その頃から、5人のお子さんがいるとは思えないほど飄々とした印象の方でした。それは、7人のお父さんになった今も変わりません。普通なら二の足を踏みそうなことも、深刻さゼロでさらりとやってのける。そして、それをネタにしてしまう。その軽やかさこそ、村上さんらしさなのかなと思いました。

美穂 van der Hulst 人を支える仕事を、私らしく続けてきました 

お名前:美穂 van der Hulst
職種:クラームゾルフ
お仕事:Aziatische Kraamverzorging MIHO
モイモイとのおつきあい:Vol.2(2016年December)から

オランダに渡ったのは1995年。気づけば、もう30年になります。

その間に2人の娘を育て、クラームゾルフとして500人以上の赤ちゃんとご家族を支えてきました。そう振り返ると、長いようでいて、やはりあっという間だったようにも感じます。

オランダ語ゼロから資格試験に挑みました

日本では看護師として総合病院などで働いていました。オランダに来て仕事を考えていたとき、当時、紙で配布されていた『ポートフォリオ』(現在はオンライン『ポートフォリオ・オランダニュース』)で、「日本人の看護師募集」という記事を見つけたんです。連絡をとったところ、以後、私の上司となる方が出したクラームゾルフの募集でした。医療従事者としての経験があればクラームゾルフの講習が受けられることを知り、挑戦してみることにしました(これは当時の特別な制度で、現在は同様の制度はありません)。

オランダ語? ぜんぜんできませんでしたよ! 聞けない、話せない、そんな状態からのスタートです(笑)。ですから講習は本当に大変でした。語学とクラームゾルフの知識を同時に詰め込むといった感じで、授業中は、みんなが笑えば一緒に笑って分かっている風を装い、授業が終わるとダッシュで帰宅して、テキストの単語をひとつひとつ辞書でひく毎日でした。

そして、3か月後に資格試験に臨んだのですが、落ちてしまいました。それでも先生やクラスメートが励ましてくれて、特別に追試を受けられることになりました。無事に合格し、1998年にクラームゾルフとしてのキャリアをスタートさせました。

どん底だったからこそ、前に進むことだけを考えた

Aziatische Kraamverzorging MIHOとして独立したのは2006年です。

実はその頃、離婚も経験し、人生のどん底のように感じていた時期でした。まだ小さかった娘たちに苦労をさせたくない、でもこの先、生活の見通しがつくのだろうか。そんな不安を抱えながらも、市役所の助けも借り、仕事第一で、とにかくがむしゃらに働きました。

ある日、どうしても娘たちを預けるところがなく、訪問先に連れて行ったことがあります。本来あってはならないことです。けれど、そのご家庭は温かく迎えてくださっただけでなく、娘にミルクシェークまで作ってくれたのです。必死だった当時の私には、そのやさしさが本当に沁みました。

遊びよりも仕事を優先して娘たちに寂しい思いをさせたこともありましたが、それでも、私にとって仕事は、生活を守るため、そして生きていくための大きな支えでした。だからこそ、ここまで続けてこられたのだと思います。

 

お母さんの、人の、もっている力を信じています

オランダにお住まいのみなさんはご存知かと思いますが、クラームゾルフは、出産後の家庭を約1週間サポートする専門職です。赤ちゃんのケア、授乳や育児のサポートを、ご自宅に伺いながら支えていきます。

日本とオランダでは、サポートのあり方に少し違いがあるように思いますね。

日本では、健やかな出産であっても医療従事者がしっかりと寄り添い、プロの視点で安全に「守る」ことが重視される印象があります。万全の体制で管理されているという大きな安心感がありますよね。

一方でオランダでは、妊娠や出産は本来「自然な営み」であるという考え方がベースにあります。そのため、私たちが主導するのではなく、お母さんやご家族を主体として、その方の意思を何より大切にします。もちろん、オランダでも「守る」気持ちは同じです。危険から守ることも大切にしながら、そのうえで、「その人が本来もっている力を見守る」という感覚に近いのかもしれません。

どちらがよいということではなく、大切にしている視点が違うのだと思います。オランダのケアは、相手がどうしたいのかを汲み取り、その人に合った形を対話しながら一緒に組み立てていく、いわば「パートナー」のような距離感を大切にしているのです。

たとえば、母乳です。医療的に必要になり、人工乳を足すこともありますが、お母さんに本来、母乳を出す力が備わっています。実は産後3日間ほどは、まだ母乳が確立しないのが当たり前。でもその間に、赤ちゃんに吸ってもらうことで、お母さんの体はゆっくりと準備を整えていきます。だから『とりあえず4日間はがんばってみませんか』と声をかけます。お母さんに備わっている『自然な力』を信じて見守りたいのです。

以前、ケア期間中に、どうしても母乳が出なかったお母さんをケアしたことがあります。期間が終わるとき、できる限りのことをお伝えしました。2か月後、「母乳1本になりました!」と元気なメールが舞い込んできました。ああ、覚えていてくれたんだなと、嬉しく思ったのを覚えています。

母乳だと睡眠時間が削られて大変、とよく言われます。でも、ネコや犬がお乳をあげている様子を見ると、お母さんは半分眠りながら自然にやっていますよね。人間も、もっと大らかでいいのではないかと思うんです。夜中に授乳したことを覚えていない、くらいでもいい。そんなふうに、少し肩の力を抜くことも大切です。

出会ってきたご家族に、支えられてきました

これまで、さまざまなお母さんや赤ちゃんに関わってきました。私は本当に恵まれていて、大きなトラブルもなく、温かいご家族に囲まれて仕事をさせていただいてきました。

駐在の方も含め、海外で暮らしていらっしゃる方々は、それぞれの環境の中で工夫されながら生活されており、どこかに自律した強さを持っていらっしゃるからなのかもしれません。

私が訪問すると、赤ちゃんのお姉ちゃんやお兄ちゃんがパタパタと駆け寄ってきて、「美穂さん」と呼んでくれることがあり、嬉しいものです。もちろん、最初は少し距離をとって様子を見ているお子さんもいますが、それぞれのペースで関わってくれるのもまた微笑ましいですね。最近、お子さんに「お姉さん」と呼ばれたんですが、もう何年もそんな呼ばれ方をしていなかったため思わず照れ笑いしながらも、内心では悪い気はしないなと思ってしまいました。

プライベートですか? 美術館やクラシックコンサートに行くのが好きですね。好きな指揮者の演奏を聴きに行くこともあり、今から楽しみにしている公演もあります。一人旅も好きで、時間を見つけてはヨーロッパの街を訪れることもあります。

オランダでクラームゾルフとして、今もこうして続けていられるのは、出会ってきたご家族や赤ちゃん、友人たち、そして娘たちの存在があったからです。支える仕事をしてきたつもりですが、振り返れば、私自身もまた多くの人に支えられてきました。

これまで関わってくださったすべての方に、心から感謝しています。

mooi-mooi、10周年おめでとうございます。今回のインタビューにあたり、ご尽力いただいたmooimooiの水迫さん、創業者のマナさん、他スタッフの皆様にも、心より感謝申し上げます。

インタビューを終えて:
ご自宅にあるグランドピアノに、美穂さんがケアをされたご家族からの届いたカードが飾られていました。赤ちゃんのお兄ちゃんやお姉ちゃんが一所懸命書いた文字を指でなぞりながら、当時を思い出すように「本当にかわいい」と話す美穂さんの姿が印象的でした。その姿からは、制度の変化や学び直しなど大変なことがあっても、ご家族一人ひとりとの出会いを大切にしながら、この仕事を長く続けてこられたことが伝わってきました。

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