10周年特別インタビュー

淵上 美恵 必要とされる場所へ、まず一歩

お名前:淵上 美恵
職業:心理専門家
会社:Global well-being
モイモイとのおつきあい:Vol.5 (2017年 September号)から

イギリスからオランダへ

もともと心理には興味がありましたが、本格的に学ぼうと思ったきっかけは、オランダでのご近所づきあいでした。

夫の駐在に伴い、イギリスからオランダに移って暮らし始めた頃、近所に日本人の方が住んでいました。ほどなくしておつきあいが始まったのですが、精神的に落ち込んでいらっしゃる様子で、そのうち帰国されてしまいました。ご近所として、何かできることはあったのではないか――。後悔にも似た思いが、心に残りました。

その頃、ライデンにアメリカのウェブスター大学のキャンパスがあり、心理学が学べることを知りました。そこで心理学の学士号を取得。まだ長女は10カ月で、子育てとの両立は簡単ではありませんでしたが、夢中で学びました。その後、さらにイギリスに渡り、ハートフォードシャー大学大学院で組織心理学理学修士を終えました。

行動力、あります? そうですね、考えすぎず、とりあえずやってみようと、一歩踏み出すタイプかもしれませんね。

日本から再びオランダへ

駐在期間を終えて日本に帰国しました。学んだことを仕事に活かしたいと有限会社を立ち上げ、企業にアプローチしてみました。ところが、これがなかなか…。

会社を立ち上げた2000年代初頭は、カウンセラーはいても、企業のメンタルヘルスに対する理解が十分ではなく、法的な枠組みも整っていませんでした。もともと日本人には、周囲に迷惑をかけてはいけないという倫理観や、頑張りすぎてしまう傾向があり、職場の問題なのに、個人の我慢や資質に頼る傾向があるように思います。そこで、組織におけるメンタルヘルスのリスクマネジメントを一冊にまとめ、その本を片手に、さまざまな企業を訪ねて対策の重要性を説明して回りました。

そのように日本で忙しくしているうちに、活躍の場を海外に広げてみたいと考えるようになりました。その背景には、かつてオランダで力になれなかったご近所さんの存在もあったと思います。

そして2015年、夫を日本に残し、息子とともに再びオランダに移ることを決めました。夫には反対されるどころか、面白がられましたよ。私が「決めたら、まずやってみる」人間だと理解してくれていましたし、夫自身にも、どこか同じようなところがあるのかもしれませんね(笑)。

心理の専門家としてオランダを見る

オランダでは、企業との仕事の他、これまでの知見と自身の経験を活かし、海外駐在員とそのご家族のメンタルヘルス、学校のカウンセラー、発達に特性のある子どもたちの支援に携わっています。

前回は駐在員の妻という立場で暮らしたオランダですが、心理の専門家として改めて眺めてみると、ずいぶん景色は違って見えます。

特に思ったのは、オランダは個人を守る社会のデザインがとてもよくできているということです。個人主義の国といわれますが、その一方で、人が孤立しないための仕組みが社会の中に自然に組み込まれています。

たとえば職場では、仕事を一人の献身に頼るのではなく、チームで担い、組織の仕組みとして回していこうとする意識があります。あるいは、スーパーのJumboには、店員と少し会話をしながらゆっくり支払える「Kletskassa(おしゃべりレジ)」があります。

人とのつながりを個人の努力だけに任せるのではなく、社会の側にも、人が自然に言葉を交わせる小さな入り口が用意されているのです。孤独になりにくい社会なのですね。

おしゃべりすることから始める

現在、私が力を入れているのが、アムステルダムの日本学校でのカウンセリングと発達に特性のある子どもたちの支援です。

日本学校では月に一度、保護者が集まる「おしゃべりサロン」を開催しています。このサロンを思いついたのは、コロナ禍後でした。

それまでは、保護者同士が子どもの送り迎えの際に、学校の様子を知ったり、自然に交流したりしていました。しかし、コロナによって校内に入れなくなり、そうしたつながりが失われてしまいました。このままでは孤立化が進んでしまう。そう考え、学校長と学校事務局の協力も得て、「おしゃべりサロン」を始めました。

といっても、私が心理について講義をする時間ではありませんよ。私はファシリテーターとして話題を用意し、あとは名前のとおり、皆さんに自由におしゃべりをしてもらいます。お互いの経験を話し、共感しあうことが目的です。

母語を育てる「愛着」

そんな保護者の方々と接するなかで、みなさんが「言葉」については悩んでいることが分かりました。

海外で育つ子どもにとって母語は、単なる語学ではなく、家族との会話、感情の表現、祖父母や親戚とのつながり、自分のルーツを理解するための言葉でもあります。特に、親がいちばん自然に気持ちを表せる言語で子どもと話せることは大きいです。

家庭で日本語に触れる時間よりも、学校や保育園でオランダ語にさらされる時間のほうが長くなり、不安に感じている保護者の方も多いでしょう。けれども、言葉を身につけるうえでは、「愛着」も大切な要素であることを忘れないでほしいと思います。

長女がオランダの保育園に通っていた頃、先生に、保育園でオランダ語の語彙をどのくらい話しているのか、数えて教えてほしいとお願いしたことがあります。保育園で過ごす時間のほうが圧倒的に長かったにもかかわらず、保育園で使っていたオランダ語と、家庭で使っていた日本語の語彙数は、ほぼ同じでした。

その経験を通して、言葉を身につけるうえでは、触れている時間の長さだけでなく、その言葉と結びついた愛着や安心、信頼がとても大切なのだと実感しました。

学校と保護者の橋渡し

もう一つ、私が大切にしているのが、発達に特性のある子どもたちへの支援です。

オランダと日本では、子どもの行動に関して受け止め方が異なります。たとえば、日本ではじっと座っていられないことが「問題行動」として指摘されがちな場面でも、オランダの現場では、それほど問題と捉えないかもしれません。反対に、むしろおとなしすぎることのほうを気にかけるかもしれません。あるいは、環境の変化に対する一時的なストレス反応が、特性そのものであるかのように誤解されてしまうこともありえます。

生活環境の変化による一時的な反応なのか、それとも発達上の特性として継続的な支援が必要なのか。学校の先生の観察と保護者の家庭での様子を丁寧に聞き取りながら、一つひとつを切り分け、学校と保護者の橋渡しをしています。移住という特殊な環境下では、こうした見極めそのものが大切なプロセスになると感じています。

気分が落ち込んだら、意識を「はがす」

私は、人の意識をいくつものレイヤーにたとえて考えています。今、何か悩んでいることがあっても、それはたくさんあるレイヤーのひとつにすぎません。悩みそのものを消すのではなく、そこに向いている意識を、少しだけ別のレイヤーへ移してあげる。それだけで、心の負担はずいぶん軽くなります。

もし、気分が落ち込むことがあれば、オランダ人のこんなところを真似してみてほしいと思います。それは、意識をはがすことです。

オランダ人は、どれだけ仕事が残っていても定刻に帰ることや、ホリデーをしっかりとることは、よく知られていますよね。彼らは「今、ここ」に意識を向けるのが得意です。それは、今この瞬間の幸せを感じなさいという意味ではなく、「今、ここ」に意識を戻すことで、悩みのレイヤーから距離を置くという意味です。

そして「18時に帰る」と宣言してしまうと、意識は自然と仕事から家族へ、そしてその後の時間へと向かいます。悩みを頭から追い出そうと頑張るのではなく、意識を向ける先を先に決めてしまう。すると、悩みのレイヤーから意識をはがすことができるのです。

周りには、それを自然にやっている人たちがたくさんいます(笑)。ぜひ、そうやって意識を少しずらすことを、試してみてください。

求められるところへ

家族をはじめ、さまざまな方に支えられながら、心理の専門家としてオランダで11年を過ごすことができました。この先、どこを拠点にするかは、まだはっきりとは決めていません。オランダで生まれ、日本で教育を受けた長女は、今はオランダで暮らしています。日本で生まれ、オランダで育った長男は、アメリカの大学に通っています。私自身も、年に1、2回は日本へ帰ります。家族全体が、いくつもの国にまたがって暮らしているんです。

そうそう、日本の自分と、オランダの自分は少し違うんです(笑)。どちらも気に入ってますし、日本でもオランダでも、私を求めてくれるところがあれば、そこへ行って支援したいと思っています。これからどちらへ向かうかは、それ次第かな。

インタビューを終えて:
「いつもね、心理のことをあれこれ考えているんですよ」。そう言って、うふふと微笑む淵上さん。扱っているのは決して軽くはない心のことなのに、ご本人の雰囲気は、羽のように軽やかで爽やかです。相談をもちかけても、悩みを必要以上に重く受け止めたり、答えを示してぐいぐい導いたりはせず、「気づくのは、あくまでもあなたですよ」と、必要なときにそっと支えてくれる。そんな伴走をしてくれるのだろうなと思いました。

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清水シ―ケル美知緒 「あそこへ行けば相談できる」場所であり続けたい—オランダで続ける私の医療

お名前:清水シ―ケル美知緒
職業:医師
クリニック:JEC ジャパンクリニック
モイモイとのおつきあい:Vol.2 (2016年December)から

祖母への想いから医師の道へ

この職業を選んだのは、家庭環境が大きかったと思います。母は小児科医、父は口腔外科医という家庭で育ったので、医師は私にとっては、いちばんよくわかる職業だったのです。

そしてもう一つ、忙しい両親に代わって幼い私に寄り添ってくれた祖母への「一日でも長生きしてほしい」という強い思いがありました。長く元気でいてもらうためには健康でいることが大切で、その健康を支えるのが医師です。そんな思いから、私も自然と「お医者さんになる」と考えるようになりました。

筑波大学医学専門学群を卒業後、実習を通じて、自分が進みたいのは内科だと心に決めました。代謝内科、循環器内科、消化器内科など選択肢はいくつもありましたが、最終的に背中を押してくれたのは、もっとも熱心に声をかけてくれた消化器内科の先生でした。消化器内科は胃カメラをはじめ、多くの技術が身につきますし、密度の高い経験を積めることにも魅力を感じました。

当時、その診療グループにはまだ女性医師がいませんでした。自分が先駆けになろうと強く意識していたわけではありませんが、振り返ってみると、この選択も、その後オランダで日本人として医師資格を取得したことも、結果的に「前例のない道」になっていました(笑)。

縁に導かれて、オランダへ

筑波大学大学院の臨床医学系消化器内科で博士課程に進んだ頃に出会ったのが、オランダ人の夫です。経済産業省の研究所にヨーロッパからのポスドクの研究員として来ていた4人のグループのひとりでした。

友人に誘われたイベントで彼らと知り合い、すぐに打ち解けました。皆で出かける時間はとても楽しく、気づけば大切な友人たちになっていました。だからこそ、特定の誰かと親しくなることで、その心地よい関係が崩れるのは避けたいとも思っていたのです。それでも、食事の席でいつも自然に隣にいてくれる彼の存在は、少しずつ特別なものになっていきました。ちなみに、当時一緒に過ごした他の3人とも、今なお交流が続いています。

博士課程を修了した2000年、結婚を機にオランダへ移住しました。博士号も取り、まさにこれからという時期だっただけに「医師としてのキャリアはこれからなのに、もったいない」と映ったかもしれません。でも、仕事は実力でどうにかなるけれど、縁はどうにもならないでしょう? 一度きりの人生ですし、見えない未来なら、私は楽しい家族を選びたいと思いました。そして今、振り返っても、その決断は間違っていなかったと思っています。

「前例なし」から始まったオランダの医師免許取得

オランダでも医師として働ける場所があるのではないかと、移住前から書類を準備して提出していたのですが、返ってきたのは「日本の医学教育のレベルがよくわからない」という答えでした。当時は、私の前に日本人医師でオランダの医師資格を取得した人は誰一人いませんでした。私にとって初めての挑戦なら、オランダ側にとっても初めてのケースだったわけです。

最終的に提示されたのは、「医学部卒業時に学生が受ける最終試験に合格すれば認定する。ただし期限は一年以内」という厳しい条件でした。それから「試験は全部オランダ語ですからね、がんばってくださいね」。

その頃、長男は1歳で、さらに1か月後には次男の出産を控えていました。昼は育児、夜は勉強という日々が続き、病院の廊下の灯りの下で参考書を広げたこともあります。どれほど勉強したのか、自分でも思い出せないほどでした。そして、無事に試験を突破し、2005年、オランダで医師資格を取得しました。

オランダと日本で経験を積み重ねる

資格取得後の2年間は、「KLM health services」の「Careport」に勤務しました。年次健康診断や理学療法、フィットネス、メンタルヘルスといった企業向け産業医サービスから、一般医療、予防医療までを一つの施設に集約した、当時としては先進的な現場でした。ここでの経験は、地域のホームドクターとの連携を基盤とするオランダ医療の仕組みを、実感をもって理解する大きなきっかけになりました。

2009年からは、夫の駐在に伴って三重県へ移り、三重大学医学部附属病院の総合診療科で働きました。臨床経験を重ね、胃カメラの手技にもさらに磨きをかけました。外来では、伊勢神宮で働く巫女さんや宮大工さんを診察したり、赤福餅の工場に行ったりなど、地域ならではの現場に触れることができて楽しかったですよ! 夫の駐在期間は約3年だったのですが、私は数か月、娘とともに日本に残り、プライマリケア認定医も取得しました。プライマリケア認定医とは、いわゆる「かかりつけ医」のようなもので、患者さんの生活背景まで含めて総合的に診る視点が、深められたと思います。

アムステルフェーンでJECジャパンクリニックを開院

日本にいる間に内科認定医も取得し、外来診療経験も積んだことで、開業への土台が整ったと思いました。オランダに戻った後の2014年、JECジャパンクリニックを開設しました。外来診療、健康診断、薬の処方などを行いながら、日本語で安心して相談できる医療の場を築いてきました。

一人ひとりとじっくり向き合うため、診察時間は30分と長めに設定しています。背景にあるのは、オランダの医療制度です。地域のホームドクターに登録し、その医師が必要と判断した場合だけ専門医や病院に進める仕組みのため、日本から来た方の多くは、その違いに戸惑い、不安を抱えます。だからこそ私は、症状だけでなく、制度への不安や生活背景まで含めて丁寧に話を聞くことを大切にしています。

ホームドクター制は、本来、専門医や病院が高度な治療を必要とする患者さんに集中できるよう、医療資源を効率よく配分するための仕組みです。オランダがこの制度に誇りを持つ理由も理解できますし、私自身も意義のある制度だと受け止めています。

一方で近年は、保険制度の変更や深刻な医師不足を背景に、この仕組みが形骸化しつつあると感じています。ホームドクターが、本来の伴走者というより、専門医へのアクセスを制限する「門番(ゲートキーパー)」のようになってしまう場面もあります。そうなると専門医は重症例ばかりを診ることになり、初期症状の段階で患者さんに向き合う機会が失われていくのではないか——そんな懸念を抱いています。

ホームドクターも万能ではありませんから、病気の予兆を見逃してしまうことだってあります。その結果、本来ならもっと早い段階で専門医に診てもらえたはずの患者さんが、病状が進んでから病院へ行くことになるケースもあります。「もっと早く専門医にかかっていたなら、回復も早かったかもしれないのに」と思うと、胸が痛みます。

オランダ医療の「制度の隙間」に苦しむ人をなくしたい

実際、当院には「ホームドクターにはこう言われたけれど、どうしてもいつもと違う気がして不安だ」と訴える方が訪れます。私は、診断書の作成や血液検査、日本の病院への診療情報提供書を通した橋渡しと、できる限りの医療を提供しています。異国で暮らす人にとって必要なのは、確かな技術を持つ医師であることだけではありません。気軽に相談でき、自分の不安を言葉にしてよいと思える相手がいることも、同じくらい重要だと思っています。

今後もホームドクター制度そのものが大きく変わることはないでしょう。だからこそ、私のようなプライベートクリニックの役割がますます重要になると感じています。専門医になかなかつながれない不安は、日本人だけのものではありません。ホームドクターと総合病院のあいだに横たわる「制度の隙間」を埋める存在が、これからますます求められていくはずです。

例えば、当院で初期診察をした方を、循環器や消化器などの専門特化したプライベートクリニックへ紹介する。そうしてプライベートクリニック同士が横の連携を強めていけば、制度の隙間で不安を抱える人を、一人でも減らすことができるのではないかと思っています。

安心をつなぐクリニックであり続けたい

開院から12年。日々の診療に追われるなかでも、若い世代と健康ワークショップを開いたり、専門家同士がつながる場をつくったりと、診察の外側でもやりたいことはたくさんあります。

そういった活動をしながらも、いちばん大切にしているのは、このクリニックを続けていくことです。

そのためには、将来にわたって続く場でなければ意味がありません。私が引退したら終わりではなく、次の世代へ受け継がれていく場所であってほしいと思っています。息子と娘がそれぞれ医療と経済を学んでいるので、いつか力を貸してくれるかもしれない、と密かに期待しています(笑)。

「あそこへ行けば相談できる」

オランダで暮らす日本人にとって、困ったときに思い出してもらえる場所。JECジャパンクリニックが、これからもそんな安心の拠点であり続けられたらと思っています。

インタビューを終えて:
プライベートなお話から、オランダ医療が抱える構造的な課題まで話題は多岐にわたり、気づけば2時間以上もお邪魔していました。医療の素人ゆえの、的外れかもしれない私の質問に対しても、清水先生は一切の垣根を作らず、プロフェッショナルとして真摯に、そしてフラットに答えてくださいました。
私が質問する際、まっすぐに目を見て耳を傾けてくださる姿から、診察室でも往診先でも、患者一人ひとりの不安に丁寧に寄り添っていることが自然と伝わってきました。

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藤田有紀 「日系サロンに行けば間違いない」と思ってもらえるように

お名前:藤田有紀
お仕事:ヘアサロン経営
お店:FUJI hair
モイモイとのおつきあい:Vol.8(2018年July)から

この前、一時帰国の際に、久しぶりに東京の原宿を歩いてみました。原宿は、美容師として16年間働いた、私のキャリアの原点とも言うべきところ。懐かしくて、ぶらぶら歩きを楽しみました。あの頃、あんなに大流行していたヘアサロンがなくなっていたり、知らないお店がたくさんできたりして、顔ぶれ、随分変わったなと思いました。日本というか、東京は本当にスピードが速いし、ヘアスタイルのトレンドもまた、目まぐるしく変わっていきます。

流行りは「韓国風パーマ」

FUJI hairのお客さんは、70%が日本人を含むアジアの方です。今、どんなヘアスタイルが流行っているかご存知ですか。それは「韓国風パーマ」です。特に男性からのリクエストがすごく増えています。

韓国風パーマといっても種類はいろいろあるんですが、男性の場合、共通しているのは、前髪や毛流れを自然につくる、抜け感のあるスタイル。重すぎず、でもちゃんと動きがある。ナチュラルだけど計算されているんです。InstagramやTikTok、Netflixを見て「こんな感じにしたいです」と来店される方も多いですね。事前に髪の長さや髪質などを確認してご要望にしっかりとお応えしています。

ヘアスタイルに限らず、K-POPや韓国コスメなど、最近の韓国カルチャーの勢いはすごいですよね。日系サロンの強みである技術力に、こうしたアジアのトレンド発信力も掛け合わせていきたいと思っています。

競合がいるから、技術は磨かれる

オランダに越してきたのは2005年です。オランダ人の旦那とは日本で知り合いました。3年ほどの遠距離恋愛を経て、オランダに移住しました。

日本で積み上げてきた経験を活かし、オランダの日系ヘアサロンに勤めた後、2007年に自身のヘアサロンをオープンすることになりました。サロンオープン当時、子どもはまだ1歳。週6日、朝から晩までサロンワークをして、仕事が終わった後は週2回オランダ語学校にも通っていました。今思うと、「若かったからできたなぁ」と思います(笑)。私はオランダ語があまり得意ではないんですが、子どもは託児所に通っていたおかげか、完璧ですね。

当時、オランダの日系サロンは数えるほどしかありませんでした。でも、日本人の個人事業主ビザの存在が知られるようになってから、フリーランスの美容師や日系のヘアサロンが次第に増えていきました。「競争相手が増えて大変じゃない?」と言われることもあります。私は、そんな風にはまったく思っていません。競合がいるということは、お互いに技術を磨き続けるということでもあります。トレンドを勉強して、新しい技術を学んで、全体のレベルを上げていく。そうすることで「日系サロンに行けば間違いない」とお客さんに思ってもらえる。ヘアサロンって、やっぱり口コミが強い業界なんです。だからこそ、技術に裏打ちされた信頼はすごく大事ですね。

実際、薬剤もどんどん進化しています。昔は難しかったカラーが出せるようになったり、パーマ液や前処理剤もかなり進歩しています。FUJI hairでも、使用している材料の半分くらいは日本から仕入れていますし、東京で美容師をしている昔の同僚や最近日本から来たチームメンバーに「今、日本では何が流行ってるの?」と聞きながら、常にアップデートしています。

お客さんととことん話し合う

FUJI hairで大切にしていることですか? それは、一にも二にもカウンセリングです。お客さんが理想としているヘアスタイルを聞きながら、髪質やダメージの状態、普段のお手入れ方法まで確認しながら、とことん話し合います。次にブリーチしたらかなり傷むことが予想できる状態なのに、お客さんの希望通りに、とりあえず施術する、というようなことはしません。

ご希望を叶えたい気持ちはあります。でも、その結果、髪がボロボロになってしまったら、お客さんもスタイリストもハッピーじゃないですよね。だから、場合によってはお断りすることもあります。逆に、「半年計画で少しずつ理想に近づけていきましょう」と、二人三脚で進めていくこともあります。

そのようにプロとして提案することもあれば、お客さんの希望を優先することもあります。たとえば、中国のお客さんは、日本人からすると「かなり強め」のパーマを好む傾向があります。日本だと、自然なウェーブが出るくらいに巻くことが多いんですが、中国のお客さんからすると、それだと「パーマがあっという間にとれた」と感じるんですね。

でも、どちらが正しいという話ではありません。ヘアスタイルに正解はないですから。だからFUJI hairでは、「日本風はこうです」と押しつけるのではなく、その人の文化背景や好みも含めて尊重することを大切にしています。

FUJI hairらしさを積み重ねて

私たちはサロンワーク以外に、撮影用のヘアメイクや着付けも行っています。映像や写真に残る仕事では、当日の仕上がりだけでなく、画面の中でどう見えるかまで考えることが大切です。そのため、事前の準備も入念に行います。

カットも、ヘアメイクも、着付けも、ただ数をこなす仕事にはしたくありません。一つひとつの仕事が次につながっていくように、FUJI hairらしい強みや特徴を少しずつ積み重ねてきました。

長く通いたくなるヘアサロンでありたい。そんな思いで続けてきて、気づけばもう20年近くになります。おかげさまで、オープン当時から通ってくださっているお客さまや、ご家族で来てくださる方もたくさんいます。本当にありがたいですね。

オランダで働く&暮らす

現在、アムステルダム店とアムステルフェーン店で、5人のチームメンバーが働いてくれています。

チームメンバーのビザ取得や家探しなど、生活面のサポートもしています。生活の基盤が整わないと、落ち着いて暮らすことも働くこともできませんから。みんな、オランダに来た初めの頃は自転車通勤できる範囲に住んでもらっています。交通費節約のため……ではないですよ(笑)。オランダを知るには、自転車がいちばん!

チームメンバーの働く時間や休日も、みんなの希望に近い形にするようにそれぞれ相談して決めています。わざわざフリーランスでオランダに来るって、「自由に暮らしたい」という気持ちが絶対あると思うんです。日本の美容師は本当に重労働です。夜中に帰宅して寝るだけ、休みも少ない、という生活をずっとしてきた私だからこそ、よく分かります。オランダに来てまで同じ働き方をするなら、意味がないと思うんです。生活が幸せじゃないと、仕事も楽しくないでしょう。私と夫はオーナーですが、チームメンバー同士、対等な関係です。逆にチームメンバーに相談することも多々ありますね。後は、みんなで食事に行ったり、BBQを楽しんだりもしています。

プライベートの楽しみですか? ジョギングと、好きなワインを飲む! そして3年前に迎えたトイプードルのポチとの散歩です。

そうそう、うちのポチ、最初はオランダ人トリマーだったのですが、アムステルダム在住の日本人トリマーさんにお願いしたら、「これこれ!」という仕上がりで帰ってきまして。やっとトイプーらしくなりました(笑)。嬉しくて、さすが日本人のなせる技だなと感激してます。

10周年おめでとうございます。これからも応援させて頂きます。

インタビューを終えて:
藤田さんとは初対面ではないものの、じっくりお話しするのは今回が初めて。それでも、気さくなお人柄のおかげで、昔から知っている人のように自然に話が弾み、終始笑いの絶えないインタビューとなりました。
ヘアスタイルの流行や各国のお客さんの感覚の違い、オランダで働く美容師事情など、業界ならではのお話はどれも興味深く、つい聞き込んでしまいました。自分をアップデートしに美容院へ行く——それは日本でもオランダでも同じですが、外国で暮らしていると、その時間はもっと特別なものになるのかもしれません。

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村上友浩  査証のVISAも知らなかった僕が、家族9人でオランダ10年 

お名前:村上友浩
職種:食材デリバリー、トランスポート、現地タクシー手配、暮らしのサポート
事業者名:Honey-Moco
モイモイとのおつきあい:Vol.5(2017年September)から

モイモイさん、10周年ですか!
実は僕もオランダに移住して、今年で10年目なんです。家賃を滞らせることなく払い続けて、「よくやってこれたな」と、しみじみ思っています。移住した時は6人家族でしたが、その後3人増えて、今は9人家族です。

我が家の子どもたちを紹介します。

長女16歳(移住当時7歳):何でも一所懸命こなします。日本語、オランダ語に加えフランス語とドイツ語と中国語もがんばっており、ダンスも熱心に取り組んでいます。

次女14歳(移住当時5歳):現地中学生で将来は絵に携わる仕事に就くのが夢。ずっと絵を描いていて、7人の中でいちばん真面目な性格かもしれないです。

三女12歳(移住当時3歳):補習校にも通っており、ダンスにもハマっていて、最近おしゃれにも目覚めてきてずっと髪や爪をいじっています(笑)

四女10歳(移住当時1歳): 7人の中でいちばん口が達者。語彙力がピカイチです。

五女8歳:器用で小悪魔。その笑顔に翻弄されてます。

六女5歳:我が家の元気印。実は一番コミュ力が高いかもです。

長男1歳半:村上家、初の男の子なので未知数なのですが、姉たちから可愛がられてスクスク育っています。

毎日わちゃわちゃと賑やかで、飽きる暇がありません。

「これでいいんやっけ?」から始まった移住

移住のきっかけですか?
僕はもともとミュージシャン、その後は芸能の仕事と、いわゆる9~5時の企業的な人生とは縁遠い道を歩んできました。だからこそ、自分の子どもたちにも「一律」ではなく、「この子だけの」人生を歩んでほしい。そんな思いを、漠然とですが、ずっと抱いていたんです。

そんなある日、長女の授業参観に行ったときのことです。
教室には机が並び、先生が教壇に立ち、黒板に書き、生徒がノートをとる——その光景を見た時にふと思ったんです。

「懐かしいなあ。30年前とほとんど変わってない。でもこれでいいんやっけ?」

自分が小学生だったころと違わないその風景に、ノスタルジーすら感じてしまって。時代の変化するスピードとのギャップを目の当たりにして、漠然と抱いていた思いが、はっきりとした問いに変わりました。

「子どもたちは、“この子だけの人生”を歩めるか」

超難関進学校に進めば希少な人生を歩めるかもしれない!そのためには、小さいうちから塾に行かなければいけない!でも小さい頃から塾に行かせるなんて嫌だなあ。インターは?高すぎる!うちは4人もいる(当時子どもが)。

このままでも楽しいかもしれない、いや、唯一の体験を人生の宝にしてほしい、でもお金がかかりすぎる、もっと他に方法があるんちゃうか……。気持ちがあっちいったり、こっちいったりしながら悶々としていたある日、空からある考えが降ってきたんです。

「海外移住」

「それや!」とひらめいてからは早かったです。査証VISAとクレジットカードのVISAの違いも知らなかった自分が、2016年6月に準備を始め、その年の10月にはもうオランダの地を踏んでいました。

食材デリバリーから引っ越しまで、「村上だから頼む」を積み上げて

現在は在蘭邦人向けに、提携現地タクシーの手配や引っ越しや荷運び、食材デリバリー、オランダでの暮らしのサポート等をしています。

食材デリバリーは月の第2・4の金曜日にアムステルダム周辺からユトレヒト周辺、ロッテルダム周辺、2カ月に1回、マーストリヒトの方まで遠征しています。

扱っているのは普通の食材だけではなく、オランダで活躍されている「ラーメンにっこう」さんや、お寿司と広島風お好み焼き「おおい」さん、焼き肉の「KANATA」さんといったお店のメニューもお届けしています。Honey-Mocoだから、村上だから、応援してやろうと想っていただけるようがんばりたいですね。

とはいえ、ガツガツやっていきたいという気持ちは、ないんです。ない、というより、がんばる種類が変わってきたというほうが近いかな。

 「おもろい」の種類が変わった

移住したばかりの頃って、何もかもが新鮮で、勢いがあるじゃないですか。やることなすことにアドレナリンが出て、出会いもどんどん広がっていく。でも10年たって、同じ土俵で勝負し続けるのは、ちょっとちがうかなっていう気がするんです。

僕の人生の座右の銘は「おもろい」なんですけど、10年たった今だからこそのチャレンジ、おもろいことってあると思うんです。

2年前の夏、家族で2週間15カ国の旅をしました。スタンプラリーのノリでドライブしまくる旅です。普通だったら「この観光地は外せない!」ってなるじゃないですか。僕らはそういうことにあんまり興味がなくて、がーっとドライブして「ほら、着いたで!」と子どもたちと車を降りて、ぶらっと歩いて、また車に乗る——そんなスタイルで、フランス、スイス、イタリア、スロベニア、ボスニアなどをめぐりました。それでも、国が変わると空気がちゃんと変わる。子どもたちにも、それが伝わっているようでした。

そんなドライブ旅を再び!ということで、去年の一時帰国の際は、神戸から中国地方、九州地方、四国地方など西日本全県制覇の旅にでました。神戸に戻ってから伊勢、愛知、静岡、神奈川、東京、折り返しで山梨、長野、岐阜なども通って東日本も縦断しました。人が滅多にやらないことをやるのが信条の父と母がめっちゃ楽しんでいるので、子どもも自然と楽しんでいるようです。今年は第三弾として、北欧を狙っています(笑)。

子どもたちも元気で、成長を見守るのは楽しいですし、ビジネスは何となく落ち着いています。いや、待て。こんな波風のある人生を歩んできた僕が、「10年経って安定したわ~、落ち着いたわ~」っておかしくないか。というか、うまくいく方がおかしい(笑)。なんかあるんちゃうか、あってもおもろいやん——そんな気持ちで、11年目に向けて踏み出します。

インタビューを終えて:
モイモイは創刊当初、発刊の後に広告主の皆さんが集まる会を開いていました。村上さんはいつも足取り軽く参加してくださり、その頃から、5人のお子さんがいるとは思えないほど飄々とした印象の方でした。それは、7人のお父さんになった今も変わりません。普通なら二の足を踏みそうなことも、深刻さゼロでさらりとやってのける。そして、それをネタにしてしまう。その軽やかさこそ、村上さんらしさなのかなと思いました。

美穂 van der Hulst 人を支える仕事を、私らしく続けてきました 

お名前:美穂 van der Hulst
職種:クラームゾルフ
お仕事:Aziatische Kraamverzorging MIHO
モイモイとのおつきあい:Vol.2(2016年December)から

オランダに渡ったのは1995年。気づけば、もう30年になります。

その間に2人の娘を育て、クラームゾルフとして500人以上の赤ちゃんとご家族を支えてきました。そう振り返ると、長いようでいて、やはりあっという間だったようにも感じます。

オランダ語ゼロから資格試験に挑みました

日本では看護師として総合病院などで働いていました。オランダに来て仕事を考えていたとき、当時、紙で配布されていた『ポートフォリオ』(現在はオンライン『ポートフォリオ・オランダニュース』)で、「日本人の看護師募集」という記事を見つけたんです。連絡をとったところ、以後、私の上司となる方が出したクラームゾルフの募集でした。医療従事者としての経験があればクラームゾルフの講習が受けられることを知り、挑戦してみることにしました(これは当時の特別な制度で、現在は同様の制度はありません)。

オランダ語? ぜんぜんできませんでしたよ! 聞けない、話せない、そんな状態からのスタートです(笑)。ですから講習は本当に大変でした。語学とクラームゾルフの知識を同時に詰め込むといった感じで、授業中は、みんなが笑えば一緒に笑って分かっている風を装い、授業が終わるとダッシュで帰宅して、テキストの単語をひとつひとつ辞書でひく毎日でした。

そして、3か月後に資格試験に臨んだのですが、落ちてしまいました。それでも先生やクラスメートが励ましてくれて、特別に追試を受けられることになりました。無事に合格し、1998年にクラームゾルフとしてのキャリアをスタートさせました。

どん底だったからこそ、前に進むことだけを考えた

Aziatische Kraamverzorging MIHOとして独立したのは2006年です。

実はその頃、離婚も経験し、人生のどん底のように感じていた時期でした。まだ小さかった娘たちに苦労をさせたくない、でもこの先、生活の見通しがつくのだろうか。そんな不安を抱えながらも、市役所の助けも借り、仕事第一で、とにかくがむしゃらに働きました。

ある日、どうしても娘たちを預けるところがなく、訪問先に連れて行ったことがあります。本来あってはならないことです。けれど、そのご家庭は温かく迎えてくださっただけでなく、娘にミルクシェークまで作ってくれたのです。必死だった当時の私には、そのやさしさが本当に沁みました。

遊びよりも仕事を優先して娘たちに寂しい思いをさせたこともありましたが、それでも、私にとって仕事は、生活を守るため、そして生きていくための大きな支えでした。だからこそ、ここまで続けてこられたのだと思います。

 

お母さんの、人の、もっている力を信じています

オランダにお住まいのみなさんはご存知かと思いますが、クラームゾルフは、出産後の家庭を約1週間サポートする専門職です。赤ちゃんのケア、授乳や育児のサポートを、ご自宅に伺いながら支えていきます。

日本とオランダでは、サポートのあり方に少し違いがあるように思いますね。

日本では、健やかな出産であっても医療従事者がしっかりと寄り添い、プロの視点で安全に「守る」ことが重視される印象があります。万全の体制で管理されているという大きな安心感がありますよね。

一方でオランダでは、妊娠や出産は本来「自然な営み」であるという考え方がベースにあります。そのため、私たちが主導するのではなく、お母さんやご家族を主体として、その方の意思を何より大切にします。もちろん、オランダでも「守る」気持ちは同じです。危険から守ることも大切にしながら、そのうえで、「その人が本来もっている力を見守る」という感覚に近いのかもしれません。

どちらがよいということではなく、大切にしている視点が違うのだと思います。オランダのケアは、相手がどうしたいのかを汲み取り、その人に合った形を対話しながら一緒に組み立てていく、いわば「パートナー」のような距離感を大切にしているのです。

たとえば、母乳です。医療的に必要になり、人工乳を足すこともありますが、お母さんに本来、母乳を出す力が備わっています。実は産後3日間ほどは、まだ母乳が確立しないのが当たり前。でもその間に、赤ちゃんに吸ってもらうことで、お母さんの体はゆっくりと準備を整えていきます。だから『とりあえず4日間はがんばってみませんか』と声をかけます。お母さんに備わっている『自然な力』を信じて見守りたいのです。

以前、ケア期間中に、どうしても母乳が出なかったお母さんをケアしたことがあります。期間が終わるとき、できる限りのことをお伝えしました。2か月後、「母乳1本になりました!」と元気なメールが舞い込んできました。ああ、覚えていてくれたんだなと、嬉しく思ったのを覚えています。

母乳だと睡眠時間が削られて大変、とよく言われます。でも、ネコや犬がお乳をあげている様子を見ると、お母さんは半分眠りながら自然にやっていますよね。人間も、もっと大らかでいいのではないかと思うんです。夜中に授乳したことを覚えていない、くらいでもいい。そんなふうに、少し肩の力を抜くことも大切です。

出会ってきたご家族に、支えられてきました

これまで、さまざまなお母さんや赤ちゃんに関わってきました。私は本当に恵まれていて、大きなトラブルもなく、温かいご家族に囲まれて仕事をさせていただいてきました。

駐在の方も含め、海外で暮らしていらっしゃる方々は、それぞれの環境の中で工夫されながら生活されており、どこかに自律した強さを持っていらっしゃるからなのかもしれません。

私が訪問すると、赤ちゃんのお姉ちゃんやお兄ちゃんがパタパタと駆け寄ってきて、「美穂さん」と呼んでくれることがあり、嬉しいものです。もちろん、最初は少し距離をとって様子を見ているお子さんもいますが、それぞれのペースで関わってくれるのもまた微笑ましいですね。最近、お子さんに「お姉さん」と呼ばれたんですが、もう何年もそんな呼ばれ方をしていなかったため思わず照れ笑いしながらも、内心では悪い気はしないなと思ってしまいました。

プライベートですか? 美術館やクラシックコンサートに行くのが好きですね。好きな指揮者の演奏を聴きに行くこともあり、今から楽しみにしている公演もあります。一人旅も好きで、時間を見つけてはヨーロッパの街を訪れることもあります。

オランダでクラームゾルフとして、今もこうして続けていられるのは、出会ってきたご家族や赤ちゃん、友人たち、そして娘たちの存在があったからです。支える仕事をしてきたつもりですが、振り返れば、私自身もまた多くの人に支えられてきました。

これまで関わってくださったすべての方に、心から感謝しています。

mooi-mooi、10周年おめでとうございます。今回のインタビューにあたり、ご尽力いただいたmooimooiの水迫さん、創業者のマナさん、他スタッフの皆様にも、心より感謝申し上げます。

インタビューを終えて:
ご自宅にあるグランドピアノに、美穂さんがケアをされたご家族からの届いたカードが飾られていました。赤ちゃんのお兄ちゃんやお姉ちゃんが一所懸命書いた文字を指でなぞりながら、当時を思い出すように「本当にかわいい」と話す美穂さんの姿が印象的でした。その姿からは、制度の変化や学び直しなど大変なことがあっても、ご家族一人ひとりとの出会いを大切にしながら、この仕事を長く続けてこられたことが伝わってきました。

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